風邪について
インフルエンザ「過去最強・最速の感染拡大」で発熱外来パンク…
そんな見出しが、目につく年末年始。
野口整体の常識では、風邪もインフルも体の偏り疲労(崩れたバランス)を取り戻すための方法の一つとして観ている。今回は風邪について。
そもそも体が必要で「活用している」のだから、うまく風邪をひいてしっかりと風邪を経過させることがいいわけで。「インフルエンザにかかった」とは言いますが「インフルエンザを引いた」とは言わない。「ガンになった」とは言いますが「ガンを引いた」とは言いませんね。
風邪だけは「風邪を引いた」と表現するから、昔からやっぱり特別な意味があったのでしょう。
引き寄せの法則とかがありますが、風邪を引き寄せるのです。今の体の状態に必要だから。
こんなことを書くと「そうそう風邪を怖がるな」とかいって「ほったらかしにすることが自然児で強い」とか勘違いをする方もいますが、そういうことでも、ありませんのでご注意を。足湯をしたり温湿布など適切なケアをして、経過をさせていくことが大切です。
特に熱が下がった後の平熱以下の時期は急処中の急処なので、誤解しないように宜しくお願いします。
また病院に行くことを否定しているのでも、ありませんので誤解なきようにお願いします。
※自然の経過か?病院に行くべきか?の目安は「一息四脈」
さてさて、風邪も含めて「インフルエンザの感染力が 年々強くなっている」とは去年も聞いた気がするのは私だけではないでしょう。
でも裏を返せば、人間の抵抗力や免疫力が弱くなっているのと同じことですね。
免疫力・抵抗力とは、しばしば言い分けられる場合がありますが、医学的には「免疫」の働きは
「抵抗力」=自然免疫
「免疫力」=獲得免疫
に2分されていて、2つまとめて「免疫力」と言われることが多いです。
今回は詳細は割愛しますが、「抵抗力」について思ったままに書いてみます。
抵抗力は読んで字のごとく「抵抗する力」です。
こどもの頃から風邪を引いたら薬を飲んで
病院では医師に脅されて?報道でも不安なことばかり…
だからインフルエンザ予防接種でキチンと予防しているつもりなのでしょう。
風邪を引いたら風邪薬を飲み、お腹の調子が悪ければ胃腸薬、咳がでれば咳止め、肌が荒れれば皮膚の薬、頭痛すれば、また薬…
本当にそれで抵抗する力が育つと思いますか?
逆に抵抗する経験(力)を失っているのです。いや自ら奪っている。そうやって大人になると抵抗する力を発揮したことがないので「抵抗力が弱いから風邪を引くんですよね?」と尋ねてくる方が多いのです。
私から言わせれば「風邪を引かないから抵抗力が弱い」の一言です。だって稽古しない空手家が強いわけないでしょうw
また練習試合しないサッカーチームが強くなれますか?
「今弱いのですが、どうしたら強くなれますか?」この質問へのアドバイスは
稽古しなさい、練習試合をたくさんして経験を積みなさい。ではないでしょうか。
それと同じように、抵抗力というのは、抵抗することでしか強くなりようがないのです。
まぁそう考えると今まで練習試合をしてこなかったチームが急に強豪と戦うのも、どうかと思うものですが…
大切なのは、そういうことに気づき現状を理解したうえで、今あるチームをどう強くしていくか?ということです。
その根本的なところを無視して、机上の理論で喧々諤々と騒いでも意味がないでしょう。
人間と自然
野口整体が面白いのは、人間とは自然の一部であることを自覚しながらも自然に任せれば、すべてが大丈夫というような安直な考え方ではないからです。
自然=そのまま何もしないで自然の力だけに任せる、このような単純なことではない。それは徹底した人間に対する観察力もある。人間は自然の一部だけど、自然のままに生きれる強さは持ち合わせていない。だから自然と共生するための力を育ててきた。
ときには畏怖しながらも、自然が持つ偉大さや尊さを感じて生きてきたわけです。
伊勢市内で住んでいる私の友人、知人には農業をしている方々が多いです。おかげさまで私の食卓は無農薬で育てたお米や、野菜など旬の食材に恵まれています。そういう環境に恵まれた暮らしをしていると、自然の力には時期というものがあることを学びました。山菜も旬の野菜も、それが出てくる時期を「待つ」ことで手に入れることができる。
自然と共に働き暮らすということは「待たねばならない」ことが数多くある。人間が自然の力を借りて生きるためには、必ず、適した時期を待つことが求められるのです。現代人が「待つ」ということが苦手なようです。それは何事でもコントロールできるという傲慢さであったりする。また自然の力に対する信頼が圧倒的になく強烈な不安が根底にあることは間違いない。
それはそうと「待つ」ということが、のんびりした暮らしになるかといえば、そうでもないようである。やはり時期があるからこそ、そのタイミングを外してしまうと大事になる。田植え、草引き、稲刈り、お米を育てる農家には逃していけない時期があるのだ。
私の友人の田吾作などは、その時期を絶対に逃すまいと頑張っているwそのような暮らしには人間よりも自然の力の方が、いつも優先で大切になる、人間の意志の力などは、その次で、自然の力を活用することで恩恵をうけてきたのだろう。
こう書いてきた私なんかは「田んぼや畑の経験値」がほぼ無いに等しいのだが…
(ゴーヤーだけは経験値があるw)でも整体というのは自分自身の体そのものが「自然」なんです。
だから風邪を引くということは、この自然の力でしかない。そして風邪を引けば経過を待つしかない。人間ができる範囲内でのケアをしながら。それが自然と人間の共生する暮らしだと思うわけです。
こういう考え方で子ども時代に風邪を引いて風邪薬などを極力、使わずに「稽古や練習」をしてきた方々は自然に対する信頼感などが、それこそ自ずから育っているはずなんです。逆に風邪を引いたら「風邪薬」熱を出したら「解熱剤」咳したら「咳止め」の薬を飲んで専門家の意見や力こそが
風邪を治してくれたと思い込むような人間に育てば、当たり前ですが自然に対する信頼感など育ちようがないわけです。
そして信頼できるのは、専門家や人間の考え方なのだと条件付けられていくので、情報に惑わされてオロオロして不安が増大して、ますます体調不良になる。
野口先生曰く
皆自然と言うと、海や山へ行くことだと思っていますが、山に緑があったって、川に水が流れていたって、海に水がジャブジャブだって、確かにそれは自然に違いないけれども、それは人間の自然ではない。そういうところに住んでいてもたくさん壊している人がいるのです。
人間の自然は、やはり血液やらが悪いものを捨てるとか、そういう自分自身の力で生きて行くはたらきが充実しているということが一番人間の自然なのです。それを自分で生きて行けないようにしてしまうようなことは、それは人間の自然を壊しているのです。
だから、私は人間の自然を壊すことを止めて、人間の自然を保つことが環境の整備よりもっと大事なのではないだろうかと言っているのです。
いや、内臓など見えない方がだいぶ助かるのですよ。
だって、食べ物が胃袋に行ったら、胃袋よ働け、やれ胃液を出せ、もう少し膵液を出せ、胆汁を出せ、おい胆嚢よ何故怠けているのだなどとやっていたら、本を読む暇もないでしょ。栄養を吸収したら、その栄養は喉へ回せ、お尻に回せなどと言って指図していたら何もできないですね。見えなくて、意識しないでやれるようにできているから、こういう生活ができるのです。
それをわざわざ体を開けて、ここの酸が足りないからこれだけ飲まなくてはいけないとか騒ぎ立てる。
それを衛生だというのはおかしいのですよ。人間の自然を壊している。天心に帰れば、活元運動を行えば、人間はそんなことをしないでも健全に生きられるようにできているのです。
頭が疲れてくれば自然に欠伸が出てくる。鼻にごみが入れば自然に嚏(くしゃみ)が出てくる。
そうでしょ。目にごみが閊えて嚏が出たなどという人はいやしない。ちゃんと涙が出てくる。皆それぞれ合うように掃除しているのです。喉に黴菌が付けば熱を出して追い出す。門番の扁桃腺が怒ったって当たり前です。それを門番が熱を出したからと言って、これを首にしたり焼いたりするなんて残酷ですね。だんだん門番が万人の役をしなくなるのは当たり前ですよ。
そうやってだんだん体の自然をめちゃくちゃにしていく。
そうすると心もそれに応じてめちゃめちゃになっていくのです。
そして人間が弱くなっていくのです。