プロフィール(詳しく)
病気のデパート時代
私は幼少の頃から元気だったわけではありません。
小学生の頃には扁桃腺が腫れては高熱をだし、原因不明の微熱が1年以上続いたこともあります。
また大人になってもアレルギー性鼻炎、寒暖差アレルギーなどの症状でも悩まされていました。
10年以上も自律神経失調症・パニック障害など辛い症状を克服するために頑張りました。
仕事も続かず、人と約束しても体調が悪くなったらどうしよう・・という不安。
また本当に外食したり出かけても体調が悪くなってしまい雰囲気を壊したり。人と交際するのも嫌になることが多かったのです。
だるくて体が重い、不眠症で眠れない朝を何度も迎えてはどうにかしたい体調・こんな状況はおかしい、このままでは私の人生はどうなるのだろうか?と不安な気持ちでいっぱいでした。
そして病院へ行って検査を受けても「特に異常なし」少し安心はしますが体調は良くなりません。
経験した人間にしか分からないと思いますが、原因がわからない症状は本当に怖いものです。
色々な健康本を読んでは試したり、治療院へ通ってみたりとしましたが全然、体は良くなりません。
こんなに若いのにすぐに疲れるなんてあり得ない、運動不足かと思い自分なりに
体を動かしたりしたのですが気分転換くらいの効果はあっても、しばらくするともとに戻ってしまう状況が続いた。
師匠との出会い
あるとき友人が「有名な整体師がいるから行ってみたら」と話してくれました。
早速、連絡をとり予約して師匠に施術してもらったら
なんと、たった1回、20分の施術で私の体調は劇的に改善したのでした。
本当に奇跡的な体験でした。東洋医学と野口整体を学んだと話していた師匠に出会って私の体調は嘘のように回復したのでした。
そのときに「整体」は「素晴らしい!!」と忘れきれない体験をしたのです。
それまでは病気したら薬を飲んで医者に治してもらうのが当たり前だった考え方がひっくり返った出来事でした。
そして東洋医学と西洋医学などの違いを知ったのです。
そしてホリスティック医学のように従来の西洋医学のみにとらわれることなく「人間とは何か」「健康とは何か」を様々な角度から全体的にアプローチしようとする、人間まるごとの癒しを考えた医学があることに驚きと同時に衝撃を受けました。
そして、なぜか人間として一筋の光を見いだした気がしました。
整体師になるまで
それから紆余曲折な道を歩みながら、体や心に関する本などは常に学んでいました。
また友人や知人などには整体をしたりして好評で人気がありましたが整体師になろうとは思ってもいませんでした。
しかし、コロナ禍で自律神経失調症が再発するようになったのを、きっかけに民間療法・整体を本格的に学びなおそうと決意してから伊勢から新大阪へ月2回通い始めました。
※野口整体の流れを汲んだ二宮整体アカデミーで学びました
朝早く出発して帰りは深夜になることは普通でしたが、面白くて学びたい気持ちが強かったので、
苦しいとか止めようなど思ったことは一度もありませんでした。
2年目に突入してから資格を頂きました。それからも色々な技術や心理療法やカウンセリング・マインドフルネスなどを学びました。
今振り返れば心と体に関することに何百万も投資して学び続けてきました。
また私は子ども食堂などを開催していたので、お母さん達にも整体の知恵を伝えていきたいと考えていました。
※子ども食堂(伊勢市内で毎月開催中の伊勢こども&オジーオバー食堂 約70名に食事を無償提供しています)
整体院を開業して
伊勢市内に整体道場 愚狂庵(ぐきょうあん)を開業してから病院や薬では改善しない症状を抱えて多くのクラインアントが伊勢市内はもとより、県内、県外から来院しています。
たくさんのクラインアントが改善して笑顔になっていくことが嬉しいです。
また今では多くの方々の評価の声からマスコミなどの取材・報道なども受けることが多くなりました。
そして伊勢市内で毎月プロの治療家も含めた医療従事者・お母さんたちを対象に
整体教室も開催して地域の方々の心と体の健康のお手伝いをしています。
最後に
現代はストレス社会だといわれています。
私自身が苦しんだ自律神経失調症などを含めて病院や薬では改善しない症状で悩んでいる方々のお役に立ちたいと考えています。
私が救われた素晴らしい日本の整体の技術・施術法で、これを読んでくれている、あなたも元気になって欲しいのです。
私の亡くなった父親は「うつがキッカケで自死」しました。
そのような経緯から「不安で苦しんでいる方々」を見ると改善するために本気で向き合っています。
そして一人でも多くの方々が元気になるお手伝いをすることが
育ててくれた父親への恩送り(受けた恩を他人へ返す)になると信じています。
愚狂庵の名の由来
明治維新に多大なる影響を与えた吉田松陰は常識に囚われないことが
大切だという意味を込めて「愚か」「狂う」という文字を好んでいました。
現代の人間の健康観、心と体の在り方など、いわゆる常識は私にとっては「非常識」なことが
たくさん、あります。また明治維新の時代が好きなのも相まって少しインパクトのある
名称になりました。愚狂庵(ぐきょうあん)と読みます。