子どもの整体 

私にとって6人目の娘は先月(令和5年2月15日)で1歳を迎えました。

私と嫁、弟子、娘も全員コロナに罹りましたが、もちろん薬など飲まずに

整体的な手当て(愉気や足湯、後頭部の温湿布など)で経過して元気になりました。

※熱は全員40℃近くまで上がりました

だからコロナ禍で社会が戦々恐々としていた、時代のことですから

いつまでも記憶に残る良い思い出だと思います。

さて、そんな娘の育児は当然ながら野口整体の考え方が反映されています。

1歳になった娘はヨチヨチ歩き始め、あちこち転んで体をぶつけては泣いて訴えてきます。

そんなとき、私たちが良くするのは昔からある「痛い痛いの飛んでいけ」という儀式です。

まずは痛みを受け止めてあげることから、この儀式は始まります。

大人の勝手な判断で「これくらいの怪我は大丈夫」怪我などを大袈裟にとらえると過保護みたいになり強く育たないと考えている

方々もいるようですが、これは注意が必要です。

どんな小さな怪我でも子どもは必要があれば、注意の集中要求が高まって、大人に氣を要求してきます。

これは手当ての愉気を含めて、共感して気づいて欲しいという「氣」の要求もあります。

だから大人の都合で取り合わないと、ますます泣いて大事になってくるか、そのときは沈静したように見えても

違う形で噴出してくることが多いのです。それがもっと大きな怪我や病気の可能性もあります(『おねしょ』(夜尿症)などは典型的な例です)

だから子どもが訴えてきたら、何より先に子どもに寄り添う形で「痛かったね」と認めてあげることが大切です。

このときに整体の心理術として使うのは「過去形」で言葉をかえるということ。

「痛かったね、熱かったよね」

もう、それは過ぎ去っていくよね~と自然に流れていくことを自覚的に体験させる。

痛みは確かにあったけど変化していくことに気づく。

自分の体の「快」や「不快」を体感させて本人が気づくことは本当に大切なことです。

ちなみに、これを仏教では無常(むじょう)といいます。

仏教の坐禅や瞑想などは思考や感情が心から自然に湧き上がり過ぎていくことに気づく体験(行)ともいえます。

それはさておき整体の心理指導では、痛みを認めながらも、心の角度を変えていくように導いていく。

当たり前ですが、痛いという事実を頭ごなしに否定されては子どもだけじゃなくて大人も嫌です。

そういうことをする大人も意外に多いのが現実です。

それが更に痛みを助長している行為だと本人は無自覚なんですけど…

とにかく、どんなに忙しくても、痛みを受けいれて抱っこでもしてあげながら愉気してあげる。

そうやって気を集注してもらうと、そのうちに痛みが緩和されて、呼吸が整ってくる。

まずはこれが一段階。

それが、うまく経過できれば今度は、もう少し複雑な手当てに入ります。

痛みが弛んで呼吸が整い少し落ち着いてくると、子どもは「なぜ怪我したのか」「何が起きたのか」

「誰がしたのか」このような子どもなりの分析や理解が始まってきます。

わかりやすく言えば名探偵コナンのように、事件ファイルが心の中で出来上がる。

ここからは肉体的な痛み、そのものが増すか減るかの分岐点でもあります。

またナマの人間を観る整体的視点の特徴だともいえます。

というのは、例えば好きな人がぶつかってきて怪我したのと、

嫌いな人がぶつかってきて怪我したのとでは全然痛みが違うからです。

また自分で転んで怪我したのだけど、大勢の前で見られていたのと、自分一人しかいなかった状況とも

全然、痛みも違うわけです。これは誰でも経験があるのではないかと思います。

だから事件ファイルの推理は大切です。

子どもの怪我の事件ファイルは気持ちや感情が多いに関わってきます。

あの憎い奴のせいで怪我したという気持ちは痛みを倍増させるし、体の痛みが消えても

心の痛みとして記憶される。だからこそ心の手当も同時にしていくことが大切なんです。

野口晴哉先生は、潜在意識教育を普段の会話で心理指導として行っていたようです。

子どもの場合は、そういう変化が非常に早いのです。

大人の場合より不平の根っこは浅いのに、変化は大きくて早いのです。

だから、その子どもの不平をちょっと聞くだけで、一回の喘息の発作はなくなる。

たとえば喧嘩をして負けたことで小便が出なくなっている子どもがいましたが、

親は喧嘩に負けた事だとは考えない。

私は、子どもが「喧嘩した」と言っている子どもの呼吸の止め方をみて、

本当に喧嘩をしたんだなと思った。そこで「誰と喧嘩したの」と聞くと、

「誰ともしていない」と言う。そこで「どっちが先に手をだしたの」と聞くと、

「向こうだよ」と言う。だから喧嘩をしたことは確かなんだけれど、

そばに喧嘩をしてはいけませんと睨んでいるお母さんがいるから、

その子どもは反射的に「喧嘩なんかしてないよ」とつい答えてしまう。

仕方がないので「どっちが先に手を出したのかな」と聞いたわけですが、

そうすると反射的に「向こうだよ」と答えた。

そこで「負けた方が先に手を出すんだよ。お父さんとお母さんの喧嘩だって、

負けた方が手を出す。君が先に手を出したんでなければいいよ」と言いました。

そうしたらしばらくしてお母さんが、小便がどんどん出るようになったと言ってきた。

「先生の操法はとてもよく効く」と言っていましたが、お母さんはそれが何故だか判らない。

みんなそんなふうに、自分で病気を作って、自分で治っていく。

ただみな、その道筋が判らないんです。

喧嘩をして負けたことが悔しくて残念がっていれば、D10に捻れが出ています。

捻れが出て、その影響で喧嘩をしたために小便がでなくなったという順序ではない。

そういう証拠固めをして、そのうえで相手の心の角度を変えながらショックする。

以上

「整体操法高等講座」を読む(18) 子供の操法(6) 潜在意識指導

 

私がいつも常々感じることは、西洋医学、病院、医師などは人間を観てるというよりPCのデータを見ているようです。

整体では当たり前ですが、ナマの人間として観ます。ナマの人間ですから痛み一つにしても色々なことがあるわけです。

とくに子どもの場合は変化が早いわけですから、整体をするのに心の角度を意識することが大切です。

子どもの怪我の事件ファイルを丸ごと受け止めてあげて、無事に事件解決するようにしていきたいものです。

沖縄では、魂のことを「マブヤー」と言い、「マブヤー」を

落としたなどという言葉をよく耳にします(私は沖縄出身)

大きな怪我をした時やビックリしたとき、マブヤーを落とすと言い伝えられてます。

そしてマブヤーを落としたから、取り戻す儀式が日常の中に普通にあったりします(沖縄のオバーがよくやります)

「痛い痛いの飛んでいけ」のような感じで使っています。

こういう沖縄の伝統文化も肉体的な痛み、怪我を心に残さないような知恵だと思います。

怪我した子どもの事件ファイルを上手に処理してあげてるともいえますね。

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